石田副院長の部屋 前編

石田副院長の部屋 前編

倉敷中央病院副院長 石田 直 先生
・日本内科学会総合内科専門医、指導医
・日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡専門医、指導医
・日本呼吸器学会専門医、指導医
・日本感染症学会専門医、指導医
・日本アレルギー学会専門医
・米国胸部医会フェロー
・インフェクションコントロールドクター
・日本化学療法学会抗菌薬指導医、臨床試験指導者
・日本結核・非結核性抗酸菌症学会結核・抗酸菌症指導医
・日本感染症学会インフルエンザ委員会 委員長

出身地:京都府
好きな食べ物:鶏料理全般 カキフライ ビール(ギネス)
趣味:読書、旅行

医師を目指したきっかけ

医師をめざそうとしたきっかけは何ですか?

石田副院長:
きっかけですか、昔のことやけど
小学生の時に先生に勧められて、それがきっかけかな。
向いてるって言って
親も希望していたみたいだし。

小学生のときとはずいぶん早いですね。
学校の先生との間でエピソードがあったんでしょうか?

石田副院長:
将来なるんだったら向いてるんじゃないかと言われて。
それをきっかけにあとはまい進した。

小学生で医師という職業のイメージはありましたか?

石田副院長:

漠然とかな、やっぱり。
一時は文系のほうに行こうかなと思ったこともあるし。
高校くらいになってから具体的に
考え出したかなって感じですね。

最初迷ってたんですけど、
まあでも勉強は一緒なんで
でも、ずっとは一応思ってましたよ。

呼吸器内科を選ばれた理由はありますか?

石田副院長:

学生の時にね、その時は今みたいに臨床研修制度(※)じゃないので、
卒業したらすぐ教室に入るんですよ。
いろんな教室に学生の時に行って見学するんですよ。
そこの先生がご飯食べに連れて行ってくれたり交流するわけよね。

※診療に従事しようとする医師は、2年以上の臨床研修を受けなければならない制度。

呼吸器内科はすごく雰囲気がアットホームで良くて
それで決めたっていう非常に安易な。
京大の呼吸器内科が自分とあってるなと思って。

先生になられてから思い出に残るエピソードはありますか?

石田副院長:

今、働き方改革っていって、いろいろなってますけどね、
昔は全然そんなのなくて。
もー、完全主治医制(※)で呼ばれまくって。
それはそれで楽しかったですね。
忙しくて、若かったし。
前は姫路の病院にいたんですけど、
病棟で、或る年の12月31日の夕方まで仕事してたんです。

※完全主治医制:夜間・休日を問わず何かあれば主治医が対応する体制のこと。現在は当番当直医制(主治医はひとりだが、休日・夜間は当直医師などが対応)やチーム制(主治医がはじめから複数人いる。完全交代制)が進められています。

そこから実家、京都に帰ったんです。
京都についたのが、夜8時くらいだったんですけど、
夜10時に病院から呼び出されて(笑)
夜行列車で帰りました。
電車の中で新年迎えて、夜2時くらいに病院について。

ええっ!?それはハードですね…

石田副院長:

そういう時代もあったけど、いい思い出ですけどね。
若いころは結構苦にならんかったし。

コロナ禍での倉敷の連携

コロナ禍での当院の動きを教えてください。

石田副院長:

うちは当初からコロナ中等症以上の患者、重症の人を
受け入れるっていう方針にしていた。
軽症は近くでお任せしてたんですけども。

最初は呼吸不全の方が多かったんで、
うちの科は非常に大変でした。
今はまあコロナ自体は軽症になったけど、
高齢者の方がコロナになって元々の疾患が悪くなって
というのが多いですよね。

最近、ちょっとまた肺炎が増えてきてるかな。
ワクチンしてないせいもある。

他の感染症が増えてきましたね。

石田副院長:

もちろん増えてます。
インフルエンザも増えてきましたし、他にも。

その中で地域の医療機関との連携はどうでしたか?

石田副院長:

最初のうちは入院患者が多かったんで、転院してもらう。
それはね、県が主導をとっていたんで、
すぐに転院してもらえたけど
5類になってからはそれがなくなったんで、
自分たちで探さないかんってなった。
うちの病院の課題なんですけど
ちょっと苦労しているところがあるんですよね。

比較的、倉敷は大きい病院が少なくて
中規模のところがいくつかあるので
割合、役割がはっきりしているなっていうのはあって。
近隣の医療機関も自分のところで
取らないかんって考えておられたと思う。

コロナの診療でもそれぞれの医療機関が役割を持って
エコシステムができていたんですね。

今回はここまで。
次回も引き続き石田副院長にお話を伺っていきます。
石田副院長のプライベートをお話いただきます!


皆さんお楽しみに!

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