
倉敷中央病院副院長
小宮 達彦 先生
・日本外科学会専門医、指導医
・日本胸部外科学会指導医
・心臓血管外科専門医、修練指導者
・臨床修練指導医
出身地:東京都
好きな食べ物:パイン味のかき氷、
スパイスカレー
趣味:自転車、読書

医師を目指したきっかけ
小宮先生はなぜ医師を目指したのですか?
小宮副院長:
昔は好奇心旺盛な少年だったわけですよ。
何を将来目指そうかなってなった時に
何かイメージしやすいものって考えたんですよ。
そしたら医学部だったかなって。医者っていうか医学部に入って。
受験勉強でいやいやな勉強じゃなくて
興味がある勉強をできるようになって。
部活動ではヨットをして。
ヨット部ですか!海に出られたんですか?
小宮副院長:
京都では琵琶湖に行くんですよ。
平日はなしでランニングとか。
土日は全部使うんですよ。
朝から行って次の日一泊して。
バンドもやってたんですよ。
そういえば産婦人科の先生が一緒だったんですよ。
先生とはヨット部でバンドも一緒にやって。

ギターを演奏
そんなご縁があったんですね!
小宮副院長:
で、心臓外科医になった。
知らないことっていうか新しいことを
やってみようと思って。わくわくすることをね。
知らないこと知るっていうのは
少なくとも進歩はしているわけですね。

医師になってのエピソード
倉敷中央病院に来られて長いですね。
小宮副院長:
大学卒業して研修医制度がなかったので
1年医局に入れってことで
京都大学の心臓血管外科に入ったんです。
今だったら大学に心臓血管外科は
どこにでもあるんだけどね、
当時は日本で初めて作ったってこともあって
面白そうだなあと思って入ったんですよ。
それでね1年したら倉敷に行きなさいって言われて。
では2年目からずっと倉敷ですか。
はい2年目から。
6年ぐらい倉敷にいてフランスに行ってきました。
2年ちょっと行って戻ってきてそのままずっと倉敷。
帰ってきてから30年だから人生の半分は倉敷。

フランス留学時の先生が倉敷へ訪問
一番最初はね、先天性心疾患とか
やろうとしてたわけですよ。
その勉強も実はしてたんですよ。フランスでね。
でも戻ってきたときには大学病院に
専門の先生が着任されていました。
それまでは倉敷の方でたくさん手術してたんですよ。
ということで先天性はやめて。
心臓の病気っていうのは人が生きるか死ぬか、
立たされているところなので、
夜も日曜日もないような
無茶苦茶な生活になるわけです。
ほとんどプライベートがなかった時代ですね。

Mayo clinic 視察
小宮先生は働き方改革を推進されていますね。
小宮副院長:
働き方改革っていうのをしょっちゅう言っているけど。
子供とね、ちっちゃいときは遊びたいじゃないですか。
だから、娘をいろいろ連れて行ったりするんだけど
病院から呼ばれたら絶対に帰らないといけない。
岡山に池田動物園あるでしょ、あの時も呼ばれて。
チボリ公園って知ってる?
今はアリオ倉敷があるところですよね。
そうそう。
東京から妹と旦那さん候補の人が初めて
来てくれたからその時は
子供連れて行ったんだけどその時も呼ばれて。
すいません!お願いします!と、
妹に子供たちを頼んで。
そういうことがありましたね。
でもしょうがないですよね。
もう一つ面白かったのは
学会に行って呼び出しがかかったとき。
夜は帰れないから、朝一番の電車に乗って帰った。
帰ってる途中で車内放送で連絡がきて、
帰らなくてよくなりましたって、ははは
ええ、そんな
小宮副院長:
それで仕方ないから能登半島観光しましたね。
そんな経験が働き方改革に活きているんですね。
とにかく人が少ないので、
一人で手術はできないでしょ。
で、人がいると分担することができるように
なったので休む人と働く人を分けようって。
主治医制っていう問題もあるんですけど。
※完全主治医制:夜間・休日を問わず何かあれば主治医が対応する体制のこと。現在は当番当直医制(主治医はひとりだが、休日・夜間は当直医師などが対応)やチーム制(主治医がはじめから複数人いる。完全交代制)が進められています。
主治医性にこだわると帰れないとか
患者さんが急変したとかあるんで。
それでその日は休めるようにしようってして
絶対に呼ばない土日を作って。
そうすると僕も子供と過ごす時間がしっかりできて。
まあ楽しかったですよね。

ソー公園(フランス)にて
今回はここまで。
次回も引き続き小宮副院長にお話を伺っていきます。
小宮副院長のプライベートをお話いただきます!
皆さんお楽しみに!