ご家族の方へ-いきいきライフ




●ご入居はいつごろですか?
2014年の年末です。妻が亡くなり、子どももいないので、安心して自立した暮らしを送ることが出来るこちらを選択しました。私は倉敷市立万寿小学校で13年間教員として勤務しておりました。昭和53年から3年間は倉敷市立東小学校で校長を務めました。当時の馴染みの方々が住まれているこの地区が、親近感も感じられて「良いな」と感じたことも決め手のひとつです。

●ご入居されてのご感想をお聞きかせください。
自宅にいた頃とほぼ変わりなく、自由に過ごせることが何より魅力です。介護付きの施設へ入ると行動が制限されますが、こちらは天満屋、マルナカ、美観地区、行きたいところへ自由に出かけられます。食事も1日前までに届ければ欠食できますので、外で食事もできます。館内には立派なお風呂と食堂があってね。80人くらい入居されていると思うのですが、温かい出来立ての食事が朝、昼、晩用意されるのを、自分でお膳を整えていただきます。お風呂は男性同士2人1組で入ります。男性の入居者は少なくて6組くらいですから、広いお風呂にゆったり入れるのが幸せです。朝10時にはラジオ体操が全館放送で流れます。ロビーに降りて体操してもいいし、自分の部屋でしてもいい。近場には倉敷中央病院はじめしげい病院、松田病院、かかりつけの眼科など医療機関も充実しています。


描きためた絵手紙作品、
1枚1枚に想い出が詰まっています

●絵手紙はいつごろから始められたんですか?
もともとは墨彩画を描いておりました。濃淡だけで描くのは非常に難しくて、なかなか自分のものになりませんでしたが、絵の描き方はつかめたように思います。こちらに入居後、絵手紙クラブ「たんぽぽ」を知って入会しました。2週間に1回(第1・第3月曜日)、参加しています。
贈る相手を思い浮かべて、絵と言葉のそれぞれに意味を持たせながら描くのが奥深いと思います。描くものは季節を表すものが多いです。
こちらの備中国分寺五重塔の絵は、再建工事に携わったときの思い出を込めて描いたものです。平成2年から改修工事をしていたなか平成3年、台風19号で五重塔が倒壊した当時、再建に携わりました。吉備文化の中心になるものですから、特別な思い入れもありました。こちらのふもとに、児島虎次郎のお孫さん、児島塊太郎さんの窯がありまして、よく存じ上げております。大原孫三郎の盟友が児島虎次郎でしたね。


ご友人の写真に句を添えた作品

●俳句作品もお持ちいただいていますね
今は俳句を作ることの方が多いかもしれません。五・七・五で作りやすいですし、季語を入れるのがたいぎなときは川柳を考えます。身体はもちろんですが、やはり頭を動かさないと。動かすことで機能が維持できますから。なるべく考えることを意識しています。俳句は廊下のコーナーへ置かせていただいて、皆さんに見ていただいています。感想を伝えてくださる方もあります。「花水木」という季語をよく使っています。桜に比べて長く咲くのが良い。私は4階に住んでいますが、窓から花水木の並木が見えるんです。昔勤務した東小にも、校庭の花水木を見に足を運びました。教頭先生が私のことを覚えておられて、離れてだいぶん経つけれど、ご縁はまだ続いているんだと感じました。

●さまざまなご縁が、この倉敷の地におありなのですね
当時、子どもたちとの接点は朝礼の挨拶くらいしかありませんでしたが、PTA活動で親御さんと関わることが多く、その方々とは今も付き合いがあり、旧知の方に囲まれて暮らしています。昔の自分とのつながりが深い、ご縁に囲まれたこの倉敷は、安心して住まうことができます。

●ご縁といえば、御年94歳、倉敷中央病院とほぼ同じ歴史を歩まれているんですね
大正15年3月生まれです。皆にビックリされます(笑)。

●100周年の日をともに迎えられると、素敵ですね



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