「半身麻痺の障害と共に生きる ~パラアーチェリーとの出会い~」

「半身麻痺の障害と共に生きる ~パラアーチェリーとの出会い~」
「半身麻痺の障害と共に生きる ~パラアーチェリーとの出会い~」

27歳で3回目の脳出血を発症し、右半身まひという後遺症を抱えることになった大江佑弥選手(倉敷市役所)。子どもたちに「かっこいいお父さんの姿を見せたい」とアーチェリーを始め、口で弓を引いて矢を放つ独自のスタイルを磨き、念願のパリ2024パラリンピックの舞台に立たれました。
「障害を負って良かったとは間違っても言えませんが、障害を負っても充実した人生を送れている」。2025年7月17日に開催した倉敷中央病院の市民公開講座「倉中医療のつどい」の特別版で講師を務めた大江選手の講演内容を紹介します。

生い立ちと野球への情熱

大江選手は1988年に倉敷市玉島で生まれ、地元の富田小学校でソフトボールを始め、チームでスポーツする楽しさを学びました。玉島北中学校では軟式野球に打ち込み、県大会優勝などの好成績を収めることができました。甲子園出場を目指して倉敷商業高校に進学し、野球漬けの3年間を送りました。ボール拾いからのスタートでしたが、2年生から試合に出られるようになり、3年生の春にベンチ入り、夏には背番号8のセンターとして県大会ベスト4まで勝ち進むことができました。部員が100人ほどいましたが、一番努力していたと思います。「努力することの大切さ」を学んだ3年間は私の人生の糧となりました。高校卒業後に就職し、社会人の軟式野球を続けていましたが、社会人生活の5年目を迎えたころに、人生の大きな転機を迎えました。

脳出血の発症と懸命なリハビリテーション

1回目の脳出血(23歳)

仕事中に突然「手に力が入らない」と感じ、病院を受診したところ、脳出血と診断されました。原因は左の視床にある海綿状血管腫という血管奇形からの出血でした。私の場合は毛細血管からじわじわと出血するタイプだったため、徐々に症状が現れました。右半身まひの症状が出ましたが、約4か月間の入院とリハビリでほぼ9割9分回復し、野球にも復帰できました。最初の脳出血のリハビリは、毎日体が良くなっていくことを感じるのですごく楽しかったです。

2回目の脳出血(25歳)

出血量が少なく、10日間ほどの入院でした。症状も出ずに大丈夫かと思いましたが、再発予防のため、ガンマナイフの治療を受けました。

3回目の脳出血(27歳)

ガンマナイフ治療から10か月後、再び右手に力が入らない症状が現れたため、「また脳出血だ」と感じてすぐに病院を受診し、入院となりました。しかし、入院後約1週間かけて徐々に症状が悪化し、右手は全く動かせなくなり、車椅子なしでは移動できないほどの右半身まひの障害がでました。この1週間、「生きた心地がしなかった」と不安でした。

リハビリは「発症後から半年間がピーク」と聞いていたため、一生懸命リハビリをしました。しかし、体は元に戻らず、症状の改善にも繋がりませんでした。リハビリの辛さとして、「頭では動かしたいと思っても、体が動かせない。そして、『動け』と願っても手足が動かない感覚が今でも忘れられません。

この時期を乗り越えられたのは、病院の医療スタッフの支え、そして家族や友人、会社の同僚が毎日のように見舞いに来て相談に乗ってくれたことが、半年間のリハビリを頑張る原動力になりました。本当に多くの人に支えていただいていると実感しました。

半年間、リハビリに励みましたが、残念ながら身体は元の状態には戻りませんでした。それでも、「全力で頑張ったのだから仕方ない」と覚悟を決めることができました。退院のときには、「退院はゴールではなくスタート。第二の人生の始まりだ」と前向きに気持ちを切り替えることができたのは、病気に気持ちで負けなかったからです。

退院後はすぐに職場に復帰しました。ただ、これまで使っていた右手が使えないので、日常生活や仕事には戸惑いもありました。それでも、職場の皆さんや家族の理解やサポートがあり、なんとか生活を続けることができました。

そんなある日、会社の先輩に釣りに誘っていただきました。電動リールを用意してくださり、児島の港からタイ釣りに出かけました。少しずつ慣れてきたころ、なんと80cmの大きなタイが釣れました。最初はあまりの重さに、先輩に代わってもらうようお願いしましたが、「自分で釣ったんだから、最後までやってみなさい」と励まされ、自力で釣り上げることができました。もし先輩に誘っていただかなければ、この経験はできなかったと思います。そして、改めて「何かに挑戦しないと、何の成果も得られない」ということを実感しました。

子どもに「かっこいいお父さん」の姿を見せたいと思い、何かスポーツを始めることにしました。

「アーチェリー」との出会い

障害を負った身体でも楽しめるパラスポーツを探しましたが、元気なころにやったことのある野球やサッカー、水泳などは、障害を負った身体ではパフォーマンスが落ちてしまうため、「面白くないな」と感じていた中で、「アーチェリー」に出会いました。

最初は小学4年の女子児童にも負けるほどでしたが、コツコツと練習を重ね、次第に射つ距離を伸ばし、大会で成績を残せるようになりました。そして、2022年からは日本代表として活動できるまでになりました。私は倉敷市の職員として勤務しているため、練習時間は限られていますが「少ない時間でも効率の良い練習をすることで、良い成績を残せる」と信じています。

アーチェリーの魅力と世界での交流

アーチェリーの試合は、50m先の的を狙い、10点満点の拳大の的の中心を射抜くことを目指します。弓は4~5kgの重さがあり、25kgの力で引く必要があります。矢のスピードは時速220kmにも達します。アーチェリーの試合は前後半に分かれ、計72本の得点で競います。満点は720点で、世界中どこの選手も達成したことがありません。私が持っている日本記録は698点で、6本中4本は必ず10点に入っていないと出ないような記録です。決勝ラウンドは1試合、3本を5回射つ15本勝負です。

パリパラリンピックへの出場

2023年11月のアジア予選で優勝し、2024年8月、念願のパリパラリンピックに出場できました。残念ながら決勝トーナメントで初戦敗退となりましたが、最後の第5エンドで10点、10点、10点と満点を出すことができました。現地まで応援に来てくださった方、日本から声援を送ってくださった方、支えてくださった全ての方に、「最後まで諦めない姿と感謝の気持ちを伝えることができた」と思っています。

健常者との競演

アーチェリーの大きな魅力として、健常者と障害者が同じルールで同じ舞台で戦うことができることです。8月下旬に出場した全日本社会人選手権のコンパウンドの部では、健常者の中に唯一のパラアスリートとして参加しました。23人で予選を行い、3位の成績で上位8人が進む決勝トーナメントに進むことができ、決勝まで進みました。負けてしまいましたが、全日本の大会で準優勝できました。ただ、今回で全日本の準優勝は3回目で、優勝を目指して挑戦を続けていきたいです。

「人間に不可能はない」

アーチェリーではさまざまな障害を持つ選手がともに競技をします。病気で足が短い選手や車いすの選手。口で射つのは私だけで、存在感を示すことができました。
両手がない選手もいます。足で弓を保持し、肩に発射装置をつけて射つ選手で、足で日常生活の全てを行い、子育てもこなすそうです。この選手がパリパラリンピックで優勝し、「両足で弓を射つやつが優勝したんだぜ」とコメントし、「人間には不可能はない」と改めて感じました。

今後の目標とメッセージ

9月に韓国で世界選手権が開催されます。まだ正式に派遣は決まっていませんが、出場を目指して練習に力を入れています。私は仕事と競技の二刀流ですので、時にはしんどいこともありますが、後悔しないよう、毎日を無駄にしないように過ごしています。納得する一日を過ごせるかどうかが、結果にもつながります。
2028年のロサンゼルスパラリンピックではリベンジをしたいです。まずは2027年に出場枠を取る大会で好成績を残さなければなりません。私は公務員で、遠征費や道具代が自己負担となります。地元の玉島の方々が立ち上げてくださった「応援する会」の支援が大きな原動力となっており、深く感謝を申し上げたいです。

パラリンピアンとして、競技だけでなく自身の活動を通じて、スポーツを身近なものとして障害やパラスポーツへの興味を持つきっかけになればと願っています。倉敷市のスポーツの発展や普及活動、さまざまな活動に積極的に取り組んでいこうと思います。私の活動を聞いて、何かに挑戦するきっかけになれば幸いです。
これからも自分の可能性を信じてチャレンジを続けていきたい。これからもより一層の応援をいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

講演後、大江選手が安全を確保したうえで実際に弓を射るデモンストレーションを行いました。時速220kmで放たれた矢が、的に用意された風船を正確に射抜くと、会場からは大きな拍手が起こりました。下記のリンクより、デモンストレーションの模様をご覧いただけます。
※この動画は、パリ2024パラリンピック出場の大江佑弥選手が、安全管理のもと行ったデモンストレーションです。

 

大江 佑弥 選手
倉敷市役所
倉敷市出身で2024年パリ・パラリンピックに初出場を果たしたパラアーチェリー選手。​
27歳で3回目の脳出血を発症、右半身まひの障害が残ったことを契機に競技をスタート。口で弓を引いて矢を放つスタイルを磨き、念願の舞台に立たれました。​
現在は倉敷市役所に勤務しながら、競技と仕事を両立させ、世界を目指されています。
 
(2025年7月22日公開)

YouTube倉敷中央病院公式チャンネル

CTA-IMAGE YouTubeに倉敷中央病院広報室チャンネルでは、疾患の解説動画や院内トピックス紹介動画などを配信しています。市民公開講座「倉中医療のつどい」WEB配信の映像もご覧いただけます。

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