創立100周年記念シンポジウム
倉敷中央病院の創立100周年記念事業の一環として、2023年9月3日に倉敷市民会館で京都大学iPS細胞研究所(以下、CiRA)との共催シンポジウムを開催しました。テーマは「最先端科学を社会実装する -倉敷で考える医療の未来」で、県内外から約1,300人の方々が来場され、同時間帯にLIVE配信されたCiRAのYouTubeチャンネルでは、約560人が視聴されました。
当院は「患者本位の医療」「全人医療」「高度先進医療」の基本理念を掲げ、創立者・大原孫三郎や先達の想いを形に変えてきました。未来の再生医療を目指して研究を進められているCiRAとのシンポジウムが、“当院が地域の皆さまに高度先進医療を提供し続けることを改めて誓う場になれば”との想いで共催に向けた準備を進めました。
開会のあいさつで公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構の浜野潤理事長は、「倉敷中央病院は次なる100年に向け、質の高い高度先進医療、救命救急医療、先制医療・予防医療などを中心に、地域の皆さまに世界水準の医療を提供し続けてまいります。本日のシンポジウムが医療の未来を考える機会になればと期待をしています」と挨拶しました。
講演① これからの医療のかたち -医療のエコシステムをどう作る-
山形院長は地域医療エコシステムについて講演しました。
新型コロナ第8波で、自宅療養中のコロナ軽症患者が救急車を要請し、当院のような3次救急病院に搬送患者が集中して一種の医療崩壊の状態にあったことを報告。高齢化で在宅療養患者が増えると同様の事態が発生し、当院が果たすべき高度先進医療が提供できない状態を防ぐ取り組みの一つとして、医療のエコシステムを紹介しました。
エコシステムについては、「大きな一つの組織だけではなく、地域内のいろんな施設が参加し、それぞれが得意とする技術やノウハウ、知見を持ち寄って、この地域での質の高い医療を提供するものです」と説明。地域内での患者情報の共有など進捗状況を紹介し、他施設の検体を当院で検査する取り組みについては「同じ基準と精度で検査をし、その結果を共有することは医療の質向上にもつながります」などと述べました。
最後に、「日進月歩の医療を享受するためにも、早い時期から検診を受ける。健康であるからこそ、衣食住が成り立つという概念を持っていただきたいです」と呼び掛けました。
講演② 哲学する経営者がiPS細胞と出会ったら
大原理事・会長は経営者の視点から講演しました。
タイトルにある“哲学する”について、「自分の座標軸の原点をしっかりと見直すこと」「物事の本質を見極めようとすること」などと説明し、経営者は日ごろから哲学をしていると紹介。iPS細胞などの新しい技術を取り入れるような場合には、社会の平和から環境、一人ひとりの命、哲学や倫理の問題まで大いに悩んで正しい進め方を見つける必要性を述べました。
さらに、研究者、医療者、経営者がそれぞれの立場を尊重しながら考えることが大切で、「academicだけ、経営者の想いだけ、医療者の現場の事情だけで考えるのではなく、お互いに知恵を出し、理解し合い、リスペクトし合いながら新しい道を見つけていくことが、最先端科学の社会実装につながる」と述べた大原会長。最後に山形院長の講演内容にも触れながら、「先制的に、予防的に健康を守るために当院の技術を使っていただきたい。それが私の倉敷中央病院に対する願いであります」と締めくくりました。
講演③ 外科医が出会った iPSという細胞
1988年12月から1993年 3月末まで倉敷中央病院の外科に勤務していた川口教授は、iPS細胞を用いた研究について講演されました。
京都大学では膵臓癌のチームに入って手術や研究を行われていましたが、癌は個別性が高く、本質に迫らないと癌治療の時代は切り拓けないと考えるようになられた川口教授。膵臓癌細胞の活発に増殖する特徴が、胎生期の細胞とよく似ていることに着目し、ヒトの発生学が癌の研究につながるとの視点で取り組んでいると紹介されました。ただ、マウスで有力な手法が分かっても、ヒトへの応用はアメリカでも禁じられている州があるように、難しいことでした。そこにiPS細胞が登場したことで、「培養皿上で発生過程を再現して細胞臓器を作る研究が可能となり、発生学や病気のメカニズムの理解を深めています」と紹介されました。
この日は高校生や中学生らが多数、来場していたことを踏まえ、最後に「好奇心を失わず、興味を持って自分のやりたいことができる環境を求めてください。研究は一人ではできず、チームの仲間と一緒に議論することが大切です。人に迷惑をかけない限り、頑張ったら人生を楽しめると思いますよ」と呼び掛けられました。
講演④ iPS細胞 進捗と今後の展望
山中教授はiPS細胞を使った再生医療や創薬研究の進捗についてお話しされました。
医学部卒業後の研修医時代に、当時は原因も治療法も分からなかったC型肝炎で闘病中のお父様が亡くなられた際、このような原因が不明で治療法もない患者さんに新しい治療を提供したいと考え、医学研究者を志したと紹介されました。
医学研究の課題として、例えばC型肝炎は①1989年に原因が分かり、画期的な薬ができたのが2014年と、患者さんに提供できるまで四半世紀かかったこと②治療薬が非常に高額なこと、の2点を挙げられ、「社会実装を考えると、画期的な治療法の解明だけでは真の意味の社会貢献にならず、これからは画期的な治療法を良心的な価格で届ける必要がある」と述べられました。
iPS細胞の医療応用には再生医療と病気のメカニズムを解明して治療法、すなわち薬を開発する2つがあると説明された山中教授。加齢黄斑変性の再生医療を具体例として述べられ、その中で課題となった高額な費用と長期間を要した点については、CiRAで再生医療用に拒絶の少ないiPS細胞を提供するストック事業を展開し、現在は10以上の臨床試験が日本で進行していると紹介されました。再生医療について山中教授は「良い細胞、将来的には良い臓器をiPS細胞から作っても、患者さんには届きません。麻酔や手術、術後管理といったチームがなければ再生医療は成功しません。細胞は治療の中の一つのピースで、倉敷中央病院のような中核病院と、私たち研究者がタッグを組むことが、今後の再生医療の成否にかかっていると強く感じています」と述べられました。
iPS細胞ストック事業に関しては、リスクを背負う企業に対して細胞の製造や品質の管理など、縁の下の力持ちとして活動し、大学で培った技術の企業移転を促進する目的として、京都大学iPS細胞研究財団(iPS財団)を2019年に発足したことを紹介。 最適なiPS細胞を良心的な価格で企業や患者さんに届けることが使命で、CiRAとiPS財団が二人三脚で活動し、iPS細胞を社会に還元していると説明されました。
iPS細胞を利用した研究が進んでいますが、生命倫理の問題に関しては、CiRA内に生命倫理を専門的に研究する部門を設立して、同じCiRA内で日ごろから議論していることも紹介されました。
最後に当院の創立100周年にも触れられ、「これまでの100年で進んだ医学医療は、今後は50年、30年、いや10年後くらいには、同じくらいの変化が起こってもおかしくありません。私たちiPS細胞研究者も新しい医療の発展に少しでも貢献すべく、今後も一生懸命頑張っていきます。どうぞ私たちの研究開発に、温かいご支援をいただけたらと思います」と締めくくられました。
シンポジウム
長久先生の進行で、パネリストの皆さんがテーマに沿ったお話を展開しました。
外科系医師の目指すべき方向性を尋ねられた川口教授は「研究はほとんどが失敗です。それでも根気強く続けると年に1回、あるいは数年に1回、新しい発見のチャンスがあります。臨床でも絶対に最後まであきらめない姿勢が大切で、倉中は100年間やってこられました。この伝統を引き継ぎ、さらに新しい挑戦を続けてほしいと思っています」と述べられました。
高齢社会でのiPS細胞の活用に関して、山中教授は「1番の目標は寿命そのものを伸ばそうと思うのではなく、健康寿命を1年でも2年でも伸ばすこと。iPS細胞もその役に立つと信じて一生懸命やっていますし、それ以外の新しい治療法も、共通の目標は健康寿命と本当の寿命の差を短くすることです」と紹介されました。
臨床研究支援センター 副センター長も務める藤原先生は、耳鼻咽喉科の再生医療として、気管が欠損した患者さんの再生に関する治験は終わっているが、販売には至っていない現状を紹介。予防医療の観点からは、日常生活の動作から身体の状況が分かるパーツの開発が国内で進められている状況を紹介し「当院も医療機器製造販売業を取得し、一つひとつのパーツを社会実装するための工夫、仕組みを作っていきたい」と述べました。
CiRAで血小板が作成されている研究を踏まえ、今中先生は「高齢化やコロナ禍などいろんな変動がある中で、iPS細胞に由来した血小板ができれば目標とする持続可能な医療の提供ができるのでは、と希望を持っています。未来の再生医療を追求するとともに、1番は目の前の患者さんや地域の皆さんに誠実に向き合うこと。これからも研鑽していきます」などと語りました。
閉会のあいさつ
京都大学iPS細胞研究所の髙橋淳所長は来場者に向けて「若い人には無限の可能性があります。煮詰まったときには、iPS細胞のことを思い出してください。iPS細胞の山中因子を振りかけると、もう1回、赤ちゃんの自分に戻れるわけです。僕たちはいくつになっても、リプログラミング(初期化)というか、iPS細胞になれる。僕たちも、いつまでたっても無限の可能性を持っているんだということです」などと呼び掛け、シンポジウムを締めくくられました。