病院の沿革
病院の沿革(創設)
倉敷中央病院は、1923年(大正12年)6月2日、倉敷紡績株式会社社長、大原孫三郎によって創設されました。
大原はクリスチャン・石井十次(岡山孤児院の設立者)の影響で、独自の人道主義(後に人格主義と改める)を育み、社会から得た富は社会に還元するという考えのもとに、労働環境の整備をはじめ、大原農業研究所、大原社会問題研究所、倉敷労働科学研究所、大原美術館等を設立しました。当院の創設も、そうした彼の理想の現れの一つであり、開設当初より倉敷紡績従業員はもとより、広く地域住民の診療も行いました。
何事にも最高を求めた大原は、病院建設にあたり、「治療本位(研究目的でない、真に患者のための治療)」「病院くさくない明るい病院」「東洋一の理想的な病院」という3つの設計理念を打ち出し、荒木寅三郎京都帝国大学総長の協力を得て、優秀な人材を得ると同時に、ヨーロッパから最新の医療機器、施設・設備、ならびに最新の医学情報を得るために、多数の医学図書を購入しました。
また、患者さんの療養環境にもゆきとどいた心配りをし、開院当日の中国民報には「病院は明るく温かく、柔らかく住みよい住宅の如し。患者はここに来ると気が晴れ、心が和み陰鬱も憂愁も忘れ、自分が病人であることも忘れるほどの患者本位の病院」と紹介されています。100年の昔に、今日でいうところの患者アメニティが実現していたのです。
大原は創立10周年の所感として「現状に満足することは退歩の第一歩である。中央病院の関係者は常に絶えず進歩する人でありたい」と述べています。われわれ職員はそれにこたえるべく、日々の医療はもちろん、その後の建物の増改築に際しても、創設者の理想とした「患者本位」を、その時代時代にふさわしい形で受け継ぐことを使命として努力してきています。社会的な構造改革が求められ、医療界にも大きな変革が実施されつつある現在、真の地域医療連携を基盤とした地域ナンバーワン急性期基幹病院の実現が、本院の進むべき道と考えています。
今日でも温室にいると、創設者の病院設立にかけた熱い想いを感じることができます。
病院の沿革(歴史)
1918(大正7) |
病院建築を決意し、荒木寅三郎京大総長、島薗順次郎同医学部長に意見を求める。 |
---|---|
1923(大正12) |
6月2日、倉紡中央病院として創立。 病床数83床(1~3病舎)。診療科7科(内、外、婦、眼、児、耳、物理療法科)。 開院式来賓の後藤新平子爵より「天地皆春」と揮毫した扁額を贈られる。 看護婦養成所を開設。 関東大震災に救護班を出動。 |
1924(大正13) |
病舎2棟を新築し、4~7病舎とする。隔離病舎を新築し、8病舎とする(病床数220床)。 職員の親睦会として院友会を結成。 歯科を開設。診療科8科。 |
1926(大正15) | 研究室を開設 |
1927(昭和2) | 倉敷中央病院と改称。独立採算制となる。 「倉敷中央病院年報」第1号発刊。 |
1930(昭和5) | 喘息塔、アレルギー疾患清浄空気治療室を設置。 |
1934(昭和9) | 財団法人に改組し、財団法人倉敷中央病院と改称。 |
1945(昭和20) | 水島、岡山空爆による傷病者救援のため救護班を出動。 広島原爆被爆者救援のため救護班を出動。 |
1946(昭和24) | 医師実地修練医療機関の指定を受ける。 米軍看護婦、病院施設および看護教育視察のため来院。 |
1949(昭和24) | 総合病院として認定される。 |
1950(昭和25) | 看護婦養成所第1回戴帽式を挙行。 |
1957(昭和32) | 職員のクラブハウスとして古久賀会館完成。 |
1963(昭和38) | 創立40周年。記念式典で大原總一郎理事長は「創立50周年には、今日とは全く様相を一変した病院として、再び皆さんと相会することを期待する」と式辞を述べる。 |
1964(昭和39) | 救急病院の指定を受ける。 |
1968(昭和43) | 臨床研修病院の指定を受ける。 |
1969(昭和44) | 院内報「皆春」を創刊。 |
1971(昭和46) | 全面的な増改築に伴う新病院の設計に着手。鶴海建設委員長、ヨーロッパの病院を1か月にわたり視察。 |
1973(昭和48) | 創立50周年記念式典ならびに新病院増改築工事起工式を挙行。 |
1975(昭和50) | 第1棟竣工(病床数971床)。ICU・CCUを開設。 |
1977(昭和52) | 入院診療録(カルテ)の中央化実施。 他に先駆けて医療分野へのコンピューターの導入を行い、国の情報化の促進に寄与した実績により、通産大臣表彰を受ける。 |
1978(昭和53) | 病院情報システムのデータ・ベース化を行い、窓口会計業務を中心にオンラインサービスを開始。 |
1980(昭和55) | 中央診療棟竣工。 |
1981(昭和56) | 外来診療棟竣工。外来診療録(カルテ)の中央化実施。 |
1984(昭和59) | 「信頼にこたえる病院づくり運動」を開始。 |
1986(昭和61) | 倉敷中央病院健康保険組合を設立。 |
1987(昭和62) | 総合保健管理センターを開設し、人間ドックの営業を開始。 |
1989(平成元) | 運営規定を制定し、運営会議を設置。週報「マンデー」を発刊。 |
1990(平成2) | 合冊外来カルテへ移行。 |
1991(平成3) | 院内学級開設。 |
1992(平成4) | 第2棟竣工。和楽会(OB会)発足。 オーダリング導入開始。 |
1993(平成5) | 高度先進医療承認(厚生大臣)。 特定承認保険医療機関承認(岡山県知事)。 院内保育施設(24時間保育)三和保育園美和分園を開設。 |
1995(平成7) | 民間医療機関初のヘリポート(第2棟屋上)使用開始。 倉敷中央訪問看護ステーションを開設。 |
1996(平成8) | エイズ治療拠点病院に指定される。 |
1997(平成9) | 岡山県災害拠点病院に指定される。ホームページを開設。ボランティアの受け入れを開始。 財団法人日本医療機能評価機構による審査を受け、合格承認される。 |
1998(平成10) | 創立75周年の記念事業として・院章の制定 ・ゲッチンゲン医学古典文庫譲り受ける。 |
1999(平成11) | 第二種感染症指定医療機関(10床)の指定を受ける。 イオン倉敷クリニックを開設。 社会福祉法人 倉敷中央天寿会(ケアハウス・デイサービス・在宅介護支援)と共同で倉敷中央ケアセンターを開設。 |
2000(平成12) | 内科を専門内科に分科。 急性期基幹病院を目指し、手術センター、ICU、NCUを、救急医療の充実のため救急医療センターを拡張、整備。 医療事故防止委員会の充実 (看護部にリスクマネジメント専任看護師長を置く)。 ベッドコントロールの中央化開始 (病床コントロール専任看護師長が共用ベッドを運用)。 新能力開発人事制度に基づく目標管理制度を導入。 岡山県初の総合周産期母子医療センターの指定を受ける。 |
2001(平成13) | 医療機関向け広報誌「みどりのつた」のファックス送信開始。 患者さん・地域住民向け広報誌「Kニュース」を創刊。 2004年公募の卒後臨床研修必修化に先駆けて、第1回公募研修医採用。 |
2002(平成14) | 急性期地域基幹病院をめざして外来棟を1棟増築し、既存部分も全面リニューアル(通院治療室等)。 開放病床10床設置。 「『患者のみなさまの権利』宣言」作成。 総合相談・地域医療センターを拡充、整備。 |
2003(平成15) | 患者さん向け医療情報コーナー「医療情報の庭」を開設。財団法人医療機能評価機構の更新審査を受け、合格承認される。 倉敷リバーサイド病院開院(140床)。 新医療情報システムの本格稼動。 医療安全管理室を設置(専任2人 兼任4人)。 地域がん診療拠点病院の指定を受ける。 |
2004(平成16) | 患者満足改善委員会(略称:KMCS委員会)を発足。 DPC試行的適用に参加。第1回クリティカルパス大会を開催。 |
2005(平成17) |
地域の小児科医の協力をいただいて、地域連携小児夜間・休日診療を開始。高度な循環器医療を多くの方に提供するための心臓病センター、新しい時代の療養環境を追及した第9棟(病棟)を開設。第2棟全面改修。 47ベッドに増やし、アメニティを充実バイオクリーンルーム3室のほか、25室43床をすべてクリーンルームに。 |
2006(平成18) | PET-CT、64列CTの導入。 臨床研究センターの設立。 セカンドオピニオン外来の開設。 画像診断機器の増設に伴い、プライバシー、アメニティに配慮した画像・生理センターとして全面拡充・改装。 |
2007(平成19) | 新3棟・5棟の建設プランが確定し、準備工事を開始。 |
2008(平成20) | 新中期計画(2008年4月~2013年3月)策定される。新3棟・5棟の建設開始。 地域医療支援病院の承認を受ける。 |
2009(平成21) | 医療の質管理室の設置。 |
2010(平成22) | 第5回日本ファシリティマネジメント大賞 最優秀賞を受賞。平成21年度産科医療功労者 厚生労働大臣表彰を受ける。 中央診療部門に遺伝診療部、外来化学療法センターを新設。 中四国では初のハイブリッド型手術室を導入。 総合周産期母子医療センター新生児部の増床 NICU 21床、GCU 30床 病院許可病床数 1,151床に。 第3棟竣工。 |
2011(平成23) | 病院情報システムを更新。 |
2012(平成24) | 第3棟増築部の運用開始。 画像ポータルシステム運用開始。 |
2013(平成25) | 医療ネットワーク岡山「晴れやかネット」への参加。 第1棟の全面改修工事(緩和ケア、リハビリ、外来化学療法、外来手術、含 耐震化)終了。 公益財団法人の改革に伴い、「公益財団法人」に移行、それに伴い法人名を 「公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構」へ変更。 岡山県より救命救急センター指定を受ける。救急ICU稼動。 創立90周年記念ギャラリー「時空回廊IDEA」開設。 岡山県警と県警ヘリのヘリポート使用の協定締結。 創立90周年記念市民公開講演会開催。 脳死下臓器提供を実施。 |
2014(平成26) | NICU改修工事完了。 手術支援ロボットダ・ヴィンチ導入。 3テスラMRI導入。 病院組織変更、職能部門とフロント部門を分ける。 臨床研究センターが公益財団法人 大原記念倉敷中央医療機構直下の組織となり、臨床研究支援センターと改称。 がん看護外来開始。 外来棟1階採血室リニューアル。 |
2015(平成27) | 臨床工学センター移転 「地域医療連携協定」締結(総社市、吉備医師会、倉敷平成病院、当院) オンコロジーセンター設立、臨床腫瘍外来 運用開始 山陽新聞社会事業団より、松岡良明賞を団体として初めて受賞 |
2016(平成28) | 国際的な医療機能評価JCIの認定を取得 複合ケア病棟(精神科身体合併症専門病棟、5床)開設 平成28年熊本地震に対し、DMAT2チームを派遣し、義援金の募金活動などを行う 医療被ばく低減施設の認定を取得 |
2017(平成29) | 倉中オープンホスピタル初開催 総合保健管理センター「予防医療プラザ」の建設開始 臨床検査技術部、ISO15189取得 紹介患者web予約システム運用開始 2017年度創設 日本医療福祉建築協会 協会賞受賞 |
2018(平成30) | 平成30年7月豪雨への対応 病院ネットワークシステムダウンにより、外来・救急診療を中止 「ノバリスサーティファイド」から認定を受ける |
2019(平成31・令和元年) | 倉敷中央病院付属予防医療プラザ開業 笠岡市、笠岡医師会と地域医療連携に関する協定を締結 看護師特定行為研修開始 |
2020(令和2年) | 新型コロナウイルス対策本部を立上げ 熊本県豪雨災害へのDMAT出動 ポストコロナ改革会議を設置 月末運営会議の後で進捗管理 倉敷中央看護専門学校 新校舎へ移転 2−5病棟39床を休床 |
2021年(令和3年) | COVID-19 第2回倉敷圏域病院長会議を古久賀ホールで開催 連携ステーション 開設 連携医療機関の転院支援スタッフが駐在 第5次中期経営計画(2021.4~2024.3)開始 キメラ抗原受容体-T細胞療法の運用開始 ドクターカーの運用開始:対象は新見市管轄、高エネルギー外傷 |
2022年(令和4年) | 国際的な医療機能評価JCIの更新審査受審、認定更新 救急車の更新のためのクラウドファンディングを実施 da Vinci Xi 導入で2台体制に |
2023年(令和5年) | 創立100周年として、京都大学iPS細胞研究所との共催シンポジウムや美和保育園の新築移転などの記念事業を執り行う G7倉敷労働雇用大臣会合参加者が当院を視察 ヨーロッパ品質研究学会の2023年度品質アチーブメント賞を受賞 止水壁建設のためのクラウドファンディングを実施 |