ゲッチンゲン医学古典文庫について
ゲッチンゲンGöttingenはドイツ中北部ニーダーザクセン州にある人口12万人ほどの都市、そこにある大学はハノーファー選帝侯ゲオルク2世・アウグストGeorg II. August(1683-1760、在位1727-1760)により1737年に、哲学・神学・法学・医学の4学部をもって設立された。現在では13学部で28,000人ほどが学ぶドイツ有数の総合大学で、正式名称は設立者の名を冠してゲオルク・アウグスト大学ゲッチンゲンGeorg-August-Universität Göttingenである。
ゲッチンゲン大学医学部の歴史でまず特筆すべきなのは、設立時の教授で解剖学・外科学・植物学を担当したハラーHaller, Albrecht von(1708-1777)である。ハラーはスイス出身で、ライデン大学の名教師ブールハーフェBoerhaave, Herman(1668-1738)から学んだ。1736年からゲッチンゲンで教鞭を執り、在職中に『生理学初歩Primae lineae physiologiae』(1747)を刊行して生理学というジャンルを開拓し、「感受性と被刺激性の人体部分Partibus corporis humani sensilibus et irritabilibus」(1752)を発表して19世紀以後の実験生理学研究への道を切り開いた。1753年に退職後は故郷ベルンで古今の医書を集大成する著述を行い、『人体生理学原論Elementa physiologiae corporis humani』8巻(1757-66)、『植物学書庫Bibliotheca botanica』2巻(1771-72)、『外科書庫Bibliotheca chirurgica』2巻(1774-75)、『解剖学書庫Bibliotheca anatomica』2巻(1774-75)、『医学実地書庫Bibliotheca medicinae practicae』4巻(1776-88)を刊行した。ゲッチンゲン大学の医学蔵書は重要なその情報源になった。
もう1人特筆すべき人物はブルーメンバッハBlumenbach, Johann Friedrich(1752-1840)で、1778年から終生にわたって医学教授を務めた。学位論文『人類の自然変異についてDe generis humani varietate nativa』(1775)では身体的特徴により人種を区別して、自然人類学の祖とみなされる。また『自然誌提要Handbuch der Naturgeschichte』2巻(1779-80)は博物学書のベストセラーになり、生気論に基づく形成衝動Bildungstriebの学説(1780)は、その後の生物学や思想に大きな影響を与えた。
ゲッチンゲン大学の図書館は、開設の当初から宗教的検閲から独立・自由であり、蔵書が体系的に分類・整理され、ドイツの代表的な図書館と目されていた。1801年にここを利用した文豪ゲーテGoethe, Johann Wolfgang von(1749-1832)は、「計り知れない利息を黙々と授ける資本」と称している。
このゲッチンゲン大学図書館に収蔵されていた2500点を超える古典医学書が日本にもたらされたきっかけは、第一次大戦後の大恐慌期に、大学が財源確保のために蔵書の一部の売却を企図したことにある。ドイツ留学中であった倉敷労働科学研究所の暉峻義等氏がこの蔵書の価値を見いだし、倉敷紡績社長大原孫三郎氏の精神的・経済的援助により購入することができた。その後研究所は何度か移転し、1971年から川崎市に移り図書館も整備されそこに収蔵され、1977年に『ゲッチンゲン医学古典文庫目録』が刊行された。1999年に倉敷中央病院創立75周年記念事業の一環として、本文庫は同病院に移管され収蔵されている。
現在の文庫目録(2023年11月28日現在、電子版)には2,566点の書籍が登録されている。うち15世紀が2点、16世紀前半が32点、後半が143点、17世紀前半が204点、後半が435点、18世紀前半が509点、後半が1044点、19世紀前半が155点、年代不明が42点である。とくに貴重なものを挙げると、ハーヴィー『動物の心臓と血液の運動についての解剖学的研究』(1628)は、医学史上においても重要で世界中に50冊ほどしか現存しないと言われる稀少本である。古代ローマのディオスコリデス『薬物誌』(1518)、ケルスス『医学論』(1528)に加え、アラビアのアヴィセンナ『医学典範』(1564)、解剖学書ではヴェサリウス『ファブリカ』第2版(1555)、ビドロー『人体解剖105図』(1685)、アルビヌス『人体骨格筋肉図譜』(1747)なども含まれており、西洋伝統医学書の宝庫である。